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刊行物「美学芸術学」目次

美学芸術学二十六号(2010)

西翁院淀看席における藤村庸軒の茶風と思想
—庸軒の漢詩の考察から— ……… 丸岡喜市

江戸時代初期の大茶人・藤村庸軒は、一般に、その多彩な茶歴から、所謂書院茶と侘び茶の両方の特色を合わせもち、かつその漢学的素養と、文人的風趣をもつ茶風から、日本茶道史上においても、類稀な特色をもつ茶人として知られている。

しかし、これまでの彼の研究については、一部の歴史的・茶道史的研究、及び彼が関わった建築・庭園の遺構に関する建築史的・庭園史的研究にほとんど限られ、漢学的な視点からの研究は、ほとんど見られないのが実状である。

現在、彼の建築・庭園の遺構は、京都黒谷の西翁院淀看席と大津市堅田の居初家の二つしか残っていない。彼は、晩年にこの西翁院に隠居し、ここでの茶による接客を目的として茶席「紫雲庵」(淀看席)を建て、ここでその風雅の日々を送った。

本論は、この点を踏まえて、従来にはほとんどなかった彼の漢詩研究の立場に立つことにより、漢詩人でもある庸軒の多くの遺作の漢詩文の中から、この淀看席に関係する漢詩十四首、及び関連する山崎闇斎、石川丈山の漢詩各一首の合わせて十六首の漢詩を取り上げ、それらの詩境を考察・分析することによって、具体的な茶室や庭の形に繋がる彼のここでの風雅の世界の内容、及びその背景となる茶風や思想について、より一層明らかにしようとした。

第一章では、まず淀看席の成立と変遷、及び現在の淀看席の概要を紹介し、漢詩人としての庸軒がもつその漢学的素養が、この茶席の一部の造作に具体的に現われている点を指摘した。

第二章では、庸軒作の漢詩を始めとして、彼と丈山の関係の詩に至る、全十六首それぞれの詩の内容及びその詩境を順次考察し、さらに庸軒の詩の特徴と詩作の背景に言及した。

おわりにまとめとして、彼が、陶淵明の生き方、生活感、自然観や思想、さらに、石川丈山の境涯とその閑居・詩仙堂の佇まいの環境構築の影響を受け、それが実際に西翁院の淀看席の造営における具体的な形として繋がって行ったこと、そして、庸軒の侘び茶の思想の本質が、利休から宗旦に至る侘びの思想を尊重しつつも、同時に、陶淵明や石川丈山の生き方、生活観、自然観や思想等に裏付けされた独特の特質を有するものであることを結論している。

雪村周継と朝鮮絵画
—《瀟湘八景図帖》(個人蔵)にみる李郭派様式の受容— ……… 吉田智美

戦国時代に関東・東北地方で活躍した禅僧画家、雪村周継(一四九二−一五七三年か)の初期を代表する山水画に、《瀟湘八景図帖》八図(一帖 紙本墨画淡彩 個人)がある。従来、この作品は筆法などの観点から、もっぱら雪村が中国の南宋院体画を学習していた時期に描いたものと考えられ、南宋院体画からの影響が指摘されてきた。しかし、この作品について、近年橋本慎司氏が、一六世紀前半の朝鮮絵画、「《楼閣山水図》のような作品」からの影響を示唆された。これまで、ほとんど南宋院体画からの影響、あるいは雪村の独自性という観点からのみ語られてきた本作品において、橋本氏の指摘は大変興味深いものである。しかし、氏の論考は関東水墨に関して語ったものであり、雪村作品に関する詳細な検討は行われていない。また、取り上げられた朝鮮絵画作品も雪村への影響を語るにふさわしいものであるのか検討の余地がある。

そこで、本稿では橋本氏の見解を手掛かりとし、この作品を制作するに当たって雪村がいつ頃の、どのような朝鮮絵画を目にした可能性があると言えるのかを様式から具体的に検証する。さらに、それが《瀟湘八景図帖》にどのように表れているのかを明らかにし、朝鮮絵画が雪村に与えた影響を具体的に示すことを試みる。

第一章では、《瀟湘八景図帖》および、これまでほとんど取り上げられることのなかった雪村作品、《呂洞賓・山水図》(三幅 個人蔵)の左右の幅に描かれた山水図を取り上げ、この作品のモチーフや画面構成が《瀟湘八景図帖》のうちの〈煙寺晩鐘図〉〈山市晴嵐図〉と近似していることを述べて、これが《瀟湘八景図帖》の前段階、すなわち手本となった作品に、より忠実に描かれたと考えられることを指摘する。第二章では《呂洞賓・山水図》の特色が一五-一六世紀ごろ制作された朝鮮絵画のうち、南宋院体画ではなく、北宋の画家、郭熙の影響を受けた様式で描かれた伝安堅《山水行旅図》(一幅 朝鮮王朝時代 絹本墨画淡彩 福岡市美術館)のような様式を学ぶものであることを指摘し、彼が受容した朝鮮絵画の様式を特定する。第三章では再び《瀟湘八景図帖》に立ち戻り、この作品が筆法においては、《山水図》よりもはるかに南宋院体画に近づきながらも、画面構成やモチーフの形態は朝鮮絵画の李郭派様式が引き継がれていることを明らかにする。以上のことから、画面構成やモチーフの特色ある形態によって示される動態表現こそ雪村が朝鮮絵画学習によって獲得したものであることを指摘する。

ヘーゲル美学における風景概念についての一考察
—「近代」との関係を顧慮して— ……… 髙藤大樹

ヘーゲル(G.W.F.Hegel 1770−1831)は、晩年のベルリン時代(1818−1831)に展開した美学のなかで風景(Landschaft)について触れている。それによると、第一に風景は自然美であり、「心情(Gemüt)」を媒介とする観照(Betrachtung)のなかに成立する。そして第二に風景は芸術美の主題にもなる。しかし、風景概念は明確に規定されているわけではない。

ヘーゲル美学における風景概念を巡り、多くの解釈がなされてきたが、そのほとんどが規定を与えるに至っていない。その理由として考えられるのは、それらの解釈が『美学講義』にのみ従ってきたということである。『美学講義』において、自然(Natur)の所産である自然美と精神(Geist)の所産である芸術美は優劣と共に区別が強調されている。一方で、風景は主観精神である「心情」と結びついたものなのである。しかし、近年の文献研究によると、ヘーゲルの弟子であるホトー(H.G.Hotho 1802−1873)が編纂した『美学講義』とは異なり、ヘーゲル自身は自然美の枠組みにたいして自然の所産という面を強調していなかったことが判明している。カールステン・ベルは、その点を考慮し、自然美を精神と自然の関係に由来した現象だと捉え直す。このように、自然美の枠組みを捉え直すことで風景は従来の意味での自然美と共に「より広範な自然美」概念に包摂されることが可能となる。そして、芸術美の主題、とりわけ、ヘーゲルの想定した「近代」における絵画の主題にされることから、ベルは風景を「近代」に固有の自然美だと結論づけている。

しかし、ベルの解釈は、自然美概念を拡大させる風景と、「近代」との関係を明示したわけではないために、その規定には曖昧さが残る。そこで本稿では、風景を「近代」に固有の自然美とみなすベルの解釈に従いつつも、風景と「近代」の関係を扱うことで、より詳細な風景の位置づけを改めて検討していく。そのために注目するのは、自然美の観照という点である。ヘーゲルによれば、風景の観照においては自然の「生命性(Le-bendigkeit)」があらわれるが、自然美一般の観照では「生命」を「ぼんやりと感知すること(Ahnung)」に留まる。とすると、風景と自然美一般の関係には「近代」における自然美概念の転換が認められる可能性がある。そのような転換によって風景を位置づけることが本稿の最終的な目的である。

ベンヤミンにおける美と仮象の問題
—ゲーテ『親和力』解釈を中心に— ………村上真樹

ドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin,1892−1940)が残した一連の著作は、現在においても様々な形で引用され、多様な解釈を与えられている。しかしながら、ベンヤミンが芸術作品の「美」をどのようにとらえていたかという問題については、これまであまり多くは語られてこなかった。本稿は、彼の初期の論考「ゲーテの『親和力』」(一九二一−二二年)の考察を通して、初期ベンヤミンにおける「美」と「仮象(Schein)」のとらえ方を明らかにする試みである。

第一章では、ベンヤミンの美の概念について考察する。『親和力』論において、ベンヤミンは美を「神話的なもの」としてある程度否定的にとらえている。本来「神話的なもの」とは、運命や法に見られるような強制力(暴力)を備えているのだが、時代が進むにつれ、そうしたあからさまな拘束は次第に衰え、代わって美しい仮象という、いわば仮面を身につけるのである。ここではゲーテの小説『親和力』のストーリーに即して、「神話の解体」を企てるベンヤミンが、美を乗り越えてゆくことの中に救済の可能性を見出していたことを確認する。

第二章では、ベンヤミンの仮象概念について考察する。「見かけ」、「見せかけ」、「輝き」を意味し、両義的な価値を持つ「仮象」の概念は、西洋の哲学においては古くから論じられ、また特に「美しい仮象」の問題は、近代の美学における重要な論点のひとつである。ここでは主に、「ゲーテの『親和力』」及びその草稿の中で触れられているゾルガーとニーチェの仮象概念との比較を行う。そしてベンヤミンにとっての仮象が、ゾルガーのように真理を覆うヴェールとしてではなく、またニーチェのように純粋な見かけとしてでもなく、「目立たぬもの」を覆うヴェールとしてとらえられていることを明らかにする。さらにベンヤミンにとっての真理とは、美の中にではなく、美による調和を停止させることの中に見出されることを確認する。それは美に対する批評的暴力としてとらえられる「表現をもたぬもの」の力によるものであり、美の領域から崇高の領域への移行として描き出されている。

以上のことから、「神話的なもの」に呪縛された美の乗り越えによって生じるベンヤミンにとっての救済とは、仮象のヴェールを取り去って真理をあらわにすることとしてではなく、主体的な決断による美の放棄として想定されていることを導く。