こちらに共通ヘッダが追加されます。
  1. 文学部/文学研究科ホーム
  2.  > Web学生記者編集室
  3.  > 先輩に聞いてみよう!(2010年度)

先輩に聞いてみよう!

2010年度

第十八回インタビュー 弘瀬 奈美さん

本学英文学科卒業生から、外務省専門職員内定者が生まれました。2009年度卒業、弘瀬奈美さん。難関の専門職試験に見事合格した彼女に話を聞きました。

プロフィール:弘瀬 奈美(ひろせ なみ)さん
2005年3月 名古屋市立名東高校卒業
2005年4月 同志社大学文学部英文学科入学
2007年9月-2008年6月 派遣留学でカリフォルニア大学アーバイン校在籍
2010年3月 同志社大学文学部英文学科卒業
2011年4月 外務省入省予定(専門職員 専門言語は英語)

Q.01 なぜ同志社大学文学部英文学科を志したんですか。

A.
中学の頃から英語が好きで、洋画を観るのも大好きでした。ずっと英語が好きだったし、洋画を字幕なしで観てみたいという思いもあって、自然と英文学科に進みました。高校までは名古屋に住んでいたんです。でも名古屋だと、関西や関東に比べて大学が少なくて、名古屋の大学に進学してしまったら交友関係があまり広がらないのかなぁと思って。新しい地域に行ってみたいという思いがあり、もともと両親が関西出身で幼いころから私も関西が好き。両親共に京都の大学出身で、「京都はいい町」という印象を持っていたし、京都に対する憧れがあり、また留学制度もきちんとしている同志社を選びました。
寒梅館でWeb記者に答える弘瀬さん

寒梅館でWeb記者に答える弘瀬さん

Q.02 高校生の時から大学で留学することを考えていたんですね!


A.
まずは、英語をマスターしたいという思いがありました。それから、外国の人と話して、外国の自分の知らない文化を学ぶことが純粋に楽しいと感じていたので。洋画や海外ドラマをたくさん観てきたので、そこから受けた影響も大きいと思います。

Q.03 大学受験勉強は順調でしたか?


A.
受験勉強は割と楽しくやっていました。友達と一緒に塾に行っていたんだけど、夏休み朝9時から夜の21時までずっと勉強していたり。途中、長い休憩が入ったりもしましたけどね(笑)。勉強の甲斐あって、英語・古典・現代文・世界史が課される一般入試で合格しました。

Q.04 留学するまではどんな学生生活を送っていたんですか?


A.
サークルには入らずに、授業かバイトか英文学科の友達と遊ぶか・・・という生活でしたね。塾でバイトをしていたんですが、このバイトをすることで、英文法に対する理解がずいぶん深まりました。自分が何気なくフィーリングで解いていた問題も、教える立場になるときちんと文法的に説明できなくてはいけません。バイトを通して、英文法を理解し、説明できるようになりましたね。

Q.05 3回生の夏からアメリカに留学されていますね。


A.
はい。留学の第一目的は、まず英語をきちんと話せるようになること。そして、英文学科のゼミでも学んできたイギリスの文学や文化を英語で学ぶことでした。専門だった英文学の授業以外にも、映画学部の授業を履修したりもしました。映画がどのように作られるのかや、映画に出てくるものの配置にどういう意図があるのか分析してみたり。あと、イギリスの映画監督・映画プロデューサーであるアルフレッド・ヒッチコック監督に焦点を当てて映画の分析をしたりしました。ヒッチコック監督の作品はすごく好きになりましたね。海外で暮らすのも親元を離れて暮らすのも初めて。でも、英文学科の授業で英語に関しては大分鍛えられていたんです。英文学科は英語ネイティブの先生が多くて、学生も帰国子女がたくさんいる刺激的な環境です。休み時間も英語で話している友人を見て最初は驚いたけど(笑)。そういう友人たちのおかげで鍛えられたんですよね。ネイティブの先生たちは、いろんなカラーを持っていて、すごく個性的な授業が多い。映画を学んだり、政治を学んだり、文化を学んだり・・・。そういう環境で学んだあと、アメリカに渡りました。アメリカを選んだ理由の一つは、生活費の問題ですね。ヨーロッパに留学するのに比べたらアメリカの方が安い。私は同志社にも奨学金で通いましたし、留学中も日本学生支援機構(JASSO)から奨学金を月7万円もらっていました。

Q.06 実際、アメリカに行ってみてどうでしたか。

A.
世界にはいろんな人がいるんだと、初めて肌で実感しましたね。私が居たカリフォルニアは、本当にいろんな人種の人がいて、留学生もさまざまな国から来ている。世界の貧困問題や中東和平に興味を持つようになったのも、世界中から来ている人と友達になって話をしたのがきっかけです。もっと世界で起きていることを知らなくちゃと思ったし、世界の中で日本はこういうところを見られているんだな―と気にするようにもなりました。
house mateとよく遊びに行ったLaguna Beach

house mateとよく遊びに行ったLaguna Beach

Q.07 最近、若者の海外離れが進み、留学する人も減ってきています。語学や専門科目をきちんと学び3年生から留学すると帰国するのが4年生の夏で、就職活動にも影響するから留学しないという人が多い。3年生から留学した弘瀬さんにはどう映りますか?


A.
気持ちはすごくわかります。私も同じ理由で、3回生から留学することに悩みました。でも、結論から話すと、留学して本当に良かったです。同級生が一年先に就職してしまうことへの焦りはわかりますが、人生長いんだし、一年の遅れなんて気にすることないんじゃないかなって今は思いますね。そういえば、留学中に英語でフランス語の授業を履修して、フランス語を学んでいました。フランス語で話してみよう!という時に、”世界中の人はみんな英語を話せばそれでいいんだ”という発言をしたアメリカ人がいたんです。アメリカは超大国だから、そういう考えを持つ人もいるんだなぁと思ってショックでしたね。冗談で言ったんだとしても、ショックでした。そういう人にも、やっぱり日本の外に出てみないと出会えないし。若いうちに、留学など様々な経験をしておくといいんじゃないかなぁ。一年遅れることが唯一の理由で留学に行くか悩んでいるなら、絶対に行くべきだと思います!

―私もそう思います!(ちなみにインタビュアー(古山)は4回生の後期からフランスに留学し、5年半で学部を卒業)

Q.08 4回生の6月に帰国されました。そこからどういう経緯で外務専門職員を目指すことになったのですか。


A.
4年生の6月に帰ってきて、就職活動のために一年間休学することは決めていました。海外と関わる仕事がしたい!というのを軸に、メーカーや商社など、いろいろ見て回りました。そうする中で、海外と関わりのある企業なんて今日山ほどあるけれど、どこかで、「企業だと海外との関わりって思うほどないんだな」と感じました。海外に派遣されても、ずっと海外に居られるわけではないし、入社してすぐに外に出してくれる会社なんてなかなかない。私はもっと世界中を飛び回って仕事がしたい。思えば、留学で初めて自分が日本人であることを強く意識しましたね。日本が好きという人がいれば単純に嬉しいし、逆に日本が叩かれてるところを見ると悲しくなる。だから、日本の外交を担い、日本を押し出していく外務省に興味を抱くようになったのだと思います。そう悩んでいたときに、外務省を目指していた友人に外務専門職員の仕事内容を聞いて、これはやりたいと思いました。休学中の4回生の冬のことでした。決めてからは、予備校に申し込んで、もう就職活動はやめました。

Q.09 試験を受けると決めてから試験日まで一年以上、モチベーションはどう維持したのですか。


A.
実際に国内外で活躍する外交官の話を聞いて、勉強に対するモチベーションが上がる時もあれば、ふと現実に戻り、受からなかったらどうしようと不安になることはよくありました。でも自分の置かれた現状にプレッシャーを感じることはあっても、仕事自体へのモチベーションが下がることは不思議と無かったですね。試験勉強は本当に大変だったけれど、目指しているのは自分が本当にやりたい仕事だったし、だからこそ頑張れたんだと思います。日本と他の国との関係を構築していくことや、日本のイメージアップにつながる仕事ができる、世界規模の問題に日本の外交官として携われる、世界中を回れる。仕事って、一生の大半を捧げることになるものだから、納得できるところに就職したいっていう思いはあったし。最初は心配していた両親も、最終的には応援してくれる中、受験勉強ができました。

Q.10 2010年3月に同志社を卒業。6月まで受験準備一色。辛くなかったですか。

A.
同級生はもう働いているのに、という負い目がなかったわけではありません。でも、一緒に勉強している友人がいるから頑張れました。専門科目の国際法・憲法・経済学は自分にとってすべて初学。法律を学ぶのもこれが初めてでした。法律用語に戸惑い、経済学で初めてグラフを見たときは何が何だかさっぱりわからなかった。新しいことを学ぶことは嫌いじゃないけれど、試験科目となると楽しいことばかりではありません。でも、今勉強したことは外交官になっても必ず活きてくる。だからこそ、試験科目にもなっている。今日一日の勉強が、また一歩外交官に近付いている、という予備校の先生の言葉を励みに一から勉強しました。
受験勉強で使用したという、テキストと経済学のノートも見せてもらいました

受験勉強で使用したという、テキストと経済学のノートも見せてもらいました

Q.11 2010年6月、辛かった外交官試験が終わりました。


A.
それまで勉強漬けの毎日だったので、終わってからは二次試験の対策をしたり、リラックスして過ごしたりしました。終わった瞬間は、多分いけたかな、と手ごたえはありました。予備校で、模試を何度も受けて来て、当日出題された問題がたまたま試験のちょっと前に解いたことのある問題だったり。運も良かったと思う。専門職員の試験は教養試験もあるんですけど、教養が最後まで一番怖かった。試験勉強では、どうしても専門科目の国際法・憲法・経済学を優先的に勉強してしまいがちだけど、実際教養で足切りにあい、泣く人も多いんです。専門科目は範囲が決まっているから突き詰められるけど、幅広い知識が問われる教養科目は、最後まで本当に怖かったですね。

Q.12 7月中旬に、筆記試験の結果が出ました。


A.
8月の前半に、4日間使って個人面接、外国語(英語)面接、グループディスカッション、健康診断などがありました。政治学科などで勉強してきた人がグループディスカッションでかなり専門的な難しい話をするので、自分の知識の無さを実感しましたね。それは、7月に予備校で練習していたときから痛感していたことでもあります。でも、予備校の先生に言われたのは、ディスカッションで見られているのは、専門知識の有無ではなく、ディスカッションに参加する姿勢や、いかに自分の立場を曲げずに、さらに周りを乱すことなくディスカッションに参加できるかだと聞きました。もちろん、新聞をよく読んだり外交青書や外交フォーラムを熟読し、一般の人が知っているようなことをきちんと知っておくように対策はしました。政治を専門的に勉強してきたわけでないけれど、自分の知っている範囲で、意見をきちんと述べられるように意識しました。

Q.13 そして、最終合格の電話がきたのですね。


A.
すべての試験が終わってから、2週間くらいしたあと外務省の方から電話をいただきました。8月19日でしたね。電話が来たときの気持ちは一生覚えていると思います。自分の家に居たんですけど、どんなシーンだったか、今も絵が浮かんでくる(笑)。東京03の番号からの着信で、外務省からだとすぐにわかりました。電話を取る前に、「あー来た!あー受かった!」とすでに実感していました(笑)。二次試験後は眠れない日々が続いていて、前日も夜中まで起きていて、電話が来たときはお昼ごろなのにまだうとうとしていました。電話を切った瞬間は、一瞬夢かと思いましたね(笑)。とにかくほっとしました。終わったー受験生活が、って。それから、やったーー!って。外務省からの電話を切った後は、家族や友人や予備校の先生に連絡するので大忙し。いろんな人に「おめでとう」と言われて、ああ、本当に受かったんだなぁと実感がわいてきました。

Q.14 見事合格を勝ち取られ、本当におめでとうございます。


A.
二次試験が終わった時点で、実はもうだめかと思っていたんです。二次試験まで残ってる人たちは、ほんとにみんな頭がいいと思いました。知識や経験が豊富な人が多い。社会人の人も多くて、圧倒されました。試験中、東京で部屋に戻って、もうだめだと思って一人で泣いたりもしました。受験勉強をしているときは、一次試験に受かればなんとかなると思っていたけど、実際は二次こそ壁なのだと実感しました。

Q.15 二次試験では周りに圧倒されっぱなしだったという弘瀬さん。どうして自分が受かったのか、振り返ってみてどうですか。


A.
考えれば考えるほど、なんで受かったんだろうと思ってしまいます。一次試験の成績を見ても、私よりも点数が高かった人はたくさんいたはず。でも、内定者で集まったときに、外務省の人が「専門職に一番大切なのは、語学力とガッツだ」とおっしゃっていました。外交知識は必要だけど、語学力があってこその専門職員。私は幸い、英文学科や留学で鍛えた語学力には自信があったから、その語学力を見てもらえたのかな。政治などを今まで専門で勉強してこなかった分、語学力でカバーした部分は大きいと思う。留学生の友達と英語で話したり、英字新聞を読んだり、試験に向けて改めて英語の勉強もしました。

Q.16 先日、専門言語が発表され、弘瀬さんは英語の専門家になることになりましたね。


A.
実は、もっと別の言語の専門家になりたくて、第五希望まで書ける希望調査のどこにも英語なんて書かなかったんです。なのに、英語の専門家になることになってしまいました・・・。でも、英語って外交上一番頻繁に使う言語だし、私の英語もまだまだ完ぺきではないので、きちんと英語を極めなさい、ということなのかなと受け止めています。英語の勉強を続けることはもちろん、もうひとつくらい言語を自分で習得して、そちらの言語も使えるようになりたいですね。

Q.17 どんな外交官になりたいですか。


A.
まず、もっとたくさん本を読んで、知識を身につけて、日本のことを聞かれたら何でも答えられるようにならなければと思います。人と人との繋がりがとても大切な仕事です。例えば、ある国に日本の言い分を主張したいと想定しましょう。その国としては面白くない主張だったとしても、その国の外交官や政府高官と日本の外交官が繋がっていたら、「○○のいうことだったら聞いてやるか」というシーンが生まれたりする、そんな仕事です。誰を知っているか、どれだけの信頼関係を築けるかが重要だったり、人と人との繋がりが活きたり-外交ってそういう仕事だと私は思います。人脈をたくさん作っていける外交官になりたいですね。同時に、自分の専門言語をきちんと磨いて、頼りになる、使える通訳にもなれればと思います。道のりは長いですが・・・。

Q.18 最後に受験生へのメッセージをお願いします。

A.
他の大学に行ったことがないから、他と比べてとどうだという話はできないけれど、私は同志社で素晴らしい友人、いろいろなバックグラウンドを持つ人たちに出会えました。この人と出会っていなかったら留学もしていなかっただろう、という人もいるし、外務専門職員を目指すと言った時に背中を押してくれた友人もいます。いろんな人に出会えたし、特に英文学科は帰国子女が多くて、授業も楽しかった。文学部に入って就職できるのかって不安に思う受験生もいると思います。確かに経済学や経営学は英文学よりも実用的です。でも大学生なんだし、就職を意識することも大切だけど、大学で学ぶことは人生の中で多分今しかできないこと。実用的でないことを学ぶことに時間を使える、とても贅沢で有意義な時間だと私は思います。自分のしたい勉強をするのが一番いいんじゃないかな。
大好きな学部の友人たちと。 もちろん卒業後も仲良し!

大好きな学部の友人たちと。
もちろん卒業後も仲良し!


取材を終えて
外交官に憧れる人は山ほどいる。試験勉強を始める人もかなり多い。途中であきらめる人も大勢いる。それでも受験者は毎年多い。
受かる人は毎年ごく僅か。新卒で就職活動をせず、卒業後に公務員試験を受けることはリスクを伴う。それでもやる。やり切った。
弘瀬さんの話を聞く前、彼女のその意志の強さはどこから漲るのだろうと考えながら、待ち合わせ場所に向かった。インタビューを通して、彼女の仕事に対する思い、決して自分の意志を曲げない芯の強さを感じることができた。これから世界に羽ばたいていく、外交官の卵の姿だった。

(取材:古山 彰子)

外務省専門職員採用試験とは外務省が独自に実施しており、この試験から採用された職員は、各分野の専門家として活躍することが期待されている。
外務専門職試験は合格後決定される専門とする語学のみならず、当該言語と関連する国・地域の社会、文化、歴史等にも通じた専門家、あるいは経済、条約等の分野の専門家として活躍することが求められる。
WセミナーHP外交官(外務専門職)より抜粋

第十七回インタビュー 江口 拓宏さん

今回は同志社大学哲学科を卒業され、現在丸善株式会社の教育・学術事業本部で営業をされている江口拓宏さんにお話を伺いました。

Q.01 今、哲学者のニーチェの本などが流行っていますけど、江口さんは哲学科でどういうことを勉強されてたんですか?


A.
僕は林克樹先生のゼミに入っていて、ショーペンハウアーというニーチェが尊敬してた人物について研究していました。岩波文庫の『自殺について』で有名な哲学者です。学部時代はショーペンハウアーの倫理学をやっており、院ではそこで論じ切れなかったことを問題にしました。

Q.02 ショーペンハウアーという人物についての勉強というのは、具体的にどういうことについて論じたりするのでしょうか?例えば国文学科だと、作家の時代背景などを考えてなぜそういう作品が生まれたかや、作品の内容について掘り下げていくのですが・・・。


A.
中身に入ると長くなりますが(笑)。文学の場合だと作家論というのは一つのスタイルだと思います。時代とか状況とか、そういうバックグラウンドから作品の成り立ちを探ってくというふうに。哲学の場合は一つの問題が大きいので、誰々の何々というふうに特定してじっくりテクストに向き合うスタイルです。僕が取り上げたのは、ショーペンハウアーがドイツ観念論を横目に見ながらも、カントの物自体と現象に終始こだわり続けたというところと、彼が現象の背後に見た「意志」が果たして人間に倫理的行為を生じさせうるかというような問題です。
哲学の勉強は哲学の歴史を勉強するのと同じで、特定の時代のテーマでも哲学史上の問題の反復であることも沢山あります。例えば、ショーペンハウアーは、学生としてフィヒテの講義に出た際にノートを取っているのですが、これがフィヒテの言わんとしている事を誤解して聴いているんです。誤解して聞いているくせに、その誤解のフィルターを通したフィヒテを批判してフィヒテの言わんとしていたところとよく似た学説に辿り着いてしまう。こういう誤解があるのも哲学の面白さだと思います。

Q.03 なぜ大学院に?


A.
卒業論文を書く前くらいに就職しようか大学院に行こうか迷っていました。ドイツ語が好きで高校生の頃からあまり学校の勉強をせずにドイツ語を勉強したりしていました。進学か就職で悩んで考えたときに、あと2年やってみようと。哲学というのは、哲学の言語になれるだけでも数年を要すると思いますし、学部で4年間やってみて、まだ物足りないと感じたからです。就職するタイミングとしてもまだ決められず、2年間院に行ってから決めようと思いました。何にでも言えることだと思いますが、やめることはいつだってできますから、続ける方を選択しました。

Q.04 哲学の勉強が就職後に役だったなと思うことはありますか?


A.
やはり勉強と実際は違うので直接には役立つとは言い難いかも知れません。社会は真実を言ってはならない論理で回っていますから。とはいえ、それに屈していても自分の性格もあるかもしれませんが、これはちょっと納得がいかないなというようなことがあると、それを自分なりに言語化して説明する習慣がつきました。また、躓いたときや仕事でうまくいかなかったときに考えるのは大学院の時のことです。特に印象深いのは大学院の時に指導教授に論文のことでものすごく叱責されたことです。何かを論じるということは自信を持って言い切るくらいのことが出来ないとダメなんですが、ちょっと解釈に二の足を踏んでいたり、他の学説に引っ張られて弱い論じ方になっていたりしていたことに対してすごく怒られました。「自信を持って間違えろ!」ということだったと思います。あんなに真に迫って怒られたことはなかったので、今でもしんどい時に思い出します。もちろん、いい思い出としてです。結構迫力のある先生だったので(笑)。

Q.05 哲学で言い切るということは難しくないですか?


A.
難しいです。数学みたいに証明できないですし。ただ哲学の大前提として「一つの原理から全てを説明する」ということがあります。しかし、その説明は同時に経験を根拠づけるものでなければなりません。それだけでも難しいですが、研究となると個々の哲学者の説を解明する際に、一つの見方というか方法論を採らないといけません。しかし、そのことが却って、それと同じ論理で動く別のものを呼び込み、矛盾を引き起こしてしまう。この矛盾を自分なり紐解きながら格闘して自分のスタイルを確立しないといけないので、それはそれは大変です。

Q.06 大学院はどんなところですか?やはり勉強は厳しいですか?


A.
大学院は全部がゼミです。学部と同じように単位を集めていくのは同じですが、学部だと一コマ90分なのに対して、院は一コマ180分なんです。全部がゼミで毎日先生が違い、予習復習だけで一週間が終わってしまうくらい忙しいです。特に一年目は授業数も多いので大変ですね。
授業そのものは大変ですが、院生や先生との距離がとても近く、勉強のことだけでなくいろんなことを話しました。朝まで先輩と話したのも良い思い出です。

Q.07 大学院に進むには学部時代に卒業論文が認められたりする必要があるのですか?


A.
院入試というのが年に夏と春に2回あります。夏は試験と面接、春は試験と面接と卒論が考慮されます。試験は専門知識はもちろん、最低限、英語で文献が読めることと、専門がドイツ圏の哲学だったらドイツ語、フランス圏だとフランス語が必要になります。人文系の院への進学を考えている人は語学が重要だと思います。

Q.08 哲学科を選んだ理由はドイツ語が好きだということだけですか?


A.
いえ、それだけではないです。実は父親も哲学科の出身だったので、小さい頃から父親の勉強部屋の隅に自分の机があり、哲学の本が自分の前にあって、自分の父親は何をしてる人なんだろうとか思いながら本を読んでいました。わりと自分も小さな頃から読んだり書いたり、ものを考えるのが好きなタイプだったのは父親の影響もかなりあると思います。ドイツ語で分からないところも父親に聞けたのは恵まれていたと思います。

Q.09 では、どうして同志社の哲学科を選ばれたのですか?


A.
同志社の哲学科というのは日本で最初に出来た哲学科なんです。西洋の学問を日本の近代化にいち早く取り入れよういうことで、同志社は哲学を日本で一番早く取り入れたんですね。だから、哲学を学ぶのだったら伝統のある同志社にしようと思いました。

Q.10 学生時代にやってよかったと思うことはありますか?


A.
やってよかったことは、地方から出てきて寮に入ったことです。先輩にかなり色んなことを教えてもらえて心強かったこともあるし、まあ単純に楽しかったです。今まで見たことがないような、なかなか出会えないような人にも会いました。個人の名誉にかかわるのであまり詳しくは言えませんが、昼に全然活動しない人とか、バイトしかしてなくて年収がすごい人とか色々いました。
やっておけばよかったと思うことはたくさんあります。まずは勉強をもっとやっておけばよかったなと思います。あと、寮に住んでいて近場に仲間がいたのであまりそれ以外のところで知り合いが作れなかったということですね。周りに濃い人間がいたので、バイト先で友達が出来るくらいでした。

Q.11 サークルは何に入ってましたか?


A.
オーケストラと「かくれんぼ同好会」に入っていました。

Q.12 本当にかくれんぼ同好会ってあるんですね!互いに本名を知らずにコードネームで呼び合うって本当ですか


A.
本当です。面接もあります。面接では「自分が面白いと思うひらがなを一文字で表現しろ」というむちゃぶりなんかもあります。

Q.13 かくれんぼは学内でやるのですか?


A.
学内もありますし、町が主催する全国大会もあります。

Q.14 勝敗はどうやって決まるんですか?


A.
チーム戦でやります。チームの中で何人が最後まで見つからなかったかと、「いかにおもしろい格好をしていたか」です。

Q.15 院での他の同級生の進路は?


A.
6対4くらいで研究職に進む人が多いです。修士課程は2年間。修士まで行って就職する人も増えています。その後は博士過程後期の試験があり、それに受かると博士課程に進みます。

Q.16 博士課程に進もうとは思わなかったんですか?


A.
博士課程に進もうか就職しようか迷いました。でも一度は社会に出て働いてみようと思いました。今度は学部の時とは異なり、就職するなら今しかないと思いました。後期過程まで行くと就職がなかなかか難しくなります。

Q.17 出版社は何社くらい受けたんですか?


A.
10社くらいです。少ない方だと思います。やはり出版は全国から何万人も受けに来てその中で通るのが何人というレベルなので。出版社の試験の内容は時事問題や編集構成、作文です。作文ではどれだけおもしろいことを思いついてそれを面白く書けるかが重要だと思います。

Q.18 なぜ丸善を?


A.
もともと本が好きというのもあるし、丸善というのは本を売ったり、出版もあったり、大学を回ったりする仕事もあり、多岐に渡るところに魅力を感じました。

Q.19 丸善はどういう会社で、実際にどういうお仕事をされているのですか?


A.
丸善という会社は1869年創業の日本で初めて出来た株式会社です。古い会社です。福沢諭吉の門下生の早矢仕さんが明治にハヤシライスを日本に紹介してハヤシライスという名前になったんですけど、そんな古い時代から西洋の本、文具、食べ物、バーバリーなんかも扱っていたんです。出版部門ができたのはかなり後で最初は商社だったんです。西洋の最先端のものを日本に紹介して日本の近代化に貢献しようという企業遺伝子は、今でも生きています。海外の最先端の文献や貴重資料を先生に紹介、提供しています。今は電子書籍が人気ですが、人社系の先生はまだまだ紙の本が好きなようです。ただ中身が欲しいのではなく、モノとしての本が好きなんです。マニアックな人になると古本屋のにおいが好きとか(笑)。先生は授業と自分の研究を並行してやっているので、自らすべての本を探すのは大変です。そういう先生たちに新しい本が出たら紹介しています。先生たちがアンテナを張らなくてもいいくらいの手助けになりたいです。

Q.20 江口さんの担当は同志社のどこなのですか?


A.
京田辺、今出川の両校地の全学部の全学科です。
この大学だけでも何百人という先生がいるので先生を個別に覚えることは難しいですね。一人で800人くらいの先生を担当しています。
理系と文系共にですが、もちろん傾向の違いもあります。人社系だと研究対象は古典とか、現代の古典と言われるようなものですが、理工系だと日々新しい論文や知識が出てくるので、本を読むよりもパソコンで電子ジャーナルを利用する教授が多いんです。

Q.21 毎日大学に来られているんですか?


A.
ほぼ毎日学校に来ています。会う先生は曜日によって違います。図書館にも行きます。営業といっても研究室を回るものと、図書館に学生用の参考書を紹介したりと、大別して2つに分かれます。本は意外と重いし、駆け回るので体力勝負です。

Q.22 800人もの教授を担当するのは頭がごちゃごちゃになりませんか?


A.
なります(笑)。先生にお持ちする本にナンバーをつけ伝票管理し、データ化して管理しています。

Q.23 営業で難しいのはどういうことですか?


A.
これはどの仕事にも共通していると思いますけど、ただその商品が欲しいという人はあまりないと思います。だからその商品の価値をどれだけ自分が相手に伝えられるかということが重要であり、難しいです。新聞記者が事件のことを書くときに社会情勢とか事件の真相を知らなければ書けないのと一緒で、どれだけその商品に価値があって役に立つか事前に知らなければいけないんです。また、お客さんにも色んな人がいます。機嫌が悪そうだなと思ったら控えたり、逆にいけそうだと思ったらぐいぐいいったり、人によって自分の出し方を変えています。

Q.24 やりがいは?


A.
大学は和書や洋書だけでなく、マイクロフィルムなどの貴重資料も収集しています。大学に助成金がついたときに大きくビジネスが動きます。複数の先生が何百万もする資料を研究の為に、文科省の助成金に申請します。大きいビジネスなので慎重さと、おもいきりが要りますが、それが成功したときにやりがいがあります。そしてやはりなによりも、「ありがとう」と言ってもらえることです。

Q.25 丸善さんは他にどのようなものを扱っているのですか?


A.
大学や会社にあるいろんなもの、例えば病院の椅子や机も扱っています。また学習スペースの提案なども行っています。北米の大学では共同の学習スペースが流行しています。日本の図書館は私語厳禁ですけど、共同学習の場合はホワイト・ボードがあり、一人で勉強していては見えないものを皆で見つけていこうとういうコンセプトで空間が作られています。僕自身もある施設で最近そういう提案をしました。

Q.26 どのような?


A.
学生が集まりやすい場所で、机を自由に組み替えられるようにして空間を自由に使えるスペースを提案しました。パソコンを持ち込める機能を持たせ、パワーポイントとホワイト・ボードなど「みてわかる」「みせてわかる」学習空間づくりをテーマにしたブースを提案しました。

Q.27 多岐に亘りますね?


A.
はい、色んなことを勉強できます。本の提案だけではなくてどうやったら図書館を利用してくれる人が使いやすいかという視点に立つことを大事にしています。

Q.28 そういうときに哲学の勉強をしたことが影響したりしますか?


A.
自分が何かに向き合う時に役に立ちます。根本的なところから考えていく姿勢というものは哲学の勉強をやめたあとも自分の中で活きています。

Q.29 では最後に高校生に向けてと大学生に向けてメッセージをお願いします。


A.
●高校生に向けて
受験勉強をするのは大事だとは思いますが、それだけだと大学に入ってから手持無沙汰になると思うんですね。「こういうことがしたい。興味がある」という人はともかく、受験勉強をした結果、たまたまここに入ってしまったということになると大学に入ってからしんどくなることもあると思います。高校生のとき受験勉強とは違うところに関心を持っていると大学に入ってから違うのではないかと思います。もちろん、何もなくても大学で好きなことに出会うというのもいいと思います。

●大学生に向けて
自分が今までやってきたこと、何をやってきていても地続きで出来る仕事はないと思います。自分がやってきた勉強に直結する仕事にあまりとらわれ過ぎると自ら幅を狭めることになります。人は、出会いなどでも変わっていくし、「自分が思う自分像や関心事」は必ずしも正解ではないと思います。いろんな人に出会って向き合うことでいろんな自分が見えてくるように思います。あとは好きなことをとことんやってください。皆がいいといっているものが自分にとっていいとは限らないので、いろいろやってみて最終的に残ったものだけが後の自分に活きて来ると思います。


(編集後記:今回のインタビュー直後に異動があり、江口さんは同志社大学の担当ではなくなりました。江口さん、貴重なお話ありがとうございました!)
(取材)八重島 永/内山 裕香
.