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文学部生Life!

2009年度

ゼミ見学第二弾(国文:植木ゼミ)

この前に引き続き食べ物ネタから始めます。なぜか?それは、今回取材させていただいた国文学科「植木ゼミ」は3限目開講。つまり、お昼休みの直後!ということで、ゼミ取材の前に行ってきました「バザールカフェ」。このお店についてもまた後日記事にしたいと思いますが、簡単な説明として、大学のすぐ近くにある「日替わりエスニック料理屋さん」です。この日は、フィリピン料理の日でした!そして、チャイも頂きました。

さて、本題ですが、植木先生のご専門は「中世の歌謡・芸能の研究」です。筆者、中世の歌謡にはそれほど詳しくはないのですが、中世の芸能のひとつ、「能楽」をかなり愛しており、現在細くですが習っております。植木ゼミは、大学のとある場所では、「能ゼミ」という別名をも持っています。今回植木ゼミを選ばせていただいた理由、建前は「友達がいる」ということでしたが、本音は、もちろん筆者自身が小さい時から能楽が大好きで、別名のうわさも以前から耳にしていたので、ずっと興味をひかれていたためです。要するに、このようにかなり私情交じりで選ばせていただきました。が、公私は分けるべきなのでしょうか。この日取材に行ったときは、能楽関係は授業で一切扱っていませんでした…。
そんな個人的な失意の念はさておき、植木ゼミレポートはじめていきます。今回は、前回の石塚ゼミとはまた違った雰囲気でした。石塚ゼミでは、「日はまた昇る」というテクストをみんなで読み進めていき、読みを深めていく形でしたが、植木ゼミでは、決まった共通のテクストは扱わず、学生が、それぞれ自分の興味のある「中世」に関する論文を一本春学期初めに選びます。つまり、一人一人扱うテクストが違うということです。ですので、「ゼミとは」であげたゼミの3要素、「発表」「議論」「解説」は、石塚ゼミでは、授業の流れによって変化していくですが、植木ゼミでは、毎回どれも欠かすことができなくなっています。
ゼミの3要素、植木ゼミではどうくりひろげられているのか、簡単な流れを見ていきましょう。まず、学生は、自分の「発表日」までに選んだ論文を読み込み、批判点や興味深い点をまとめ、皆の前で発表します。その発表を受けて、みなで議論を交わします。でも、シャイな日本人、しかもみなほとんどが同じ学年。誰かが言いださないとわれ先にと出る人は少ないもの。しかし、国文学科のおもしろいところは、各ゼミにTAさん(イニシャルではありませんよ(笑)ティーチング・アシスタントの略です。)という院生の方々が付いていますので、先輩の彼らからまず意見することにより、議論展開しやすいようになっています。TAさん、先生の手先と言っても過言ではないので、意見も生半可なものではありません。そして、学生も合わせてみんなで議論を交わし、最後に先生のまとめ作業として、解説が入ります。
では、最後に、今回の具体的な授業内容を書き、取材のシメとしましょう。発表者は2人でした。一人目は、藤田尚樹「七夕の物語−『古今和歌集抄』『天稚彦草子』『たなばた』をめぐって」を、もう一人は、今村みゑ子「実朝の独創歌の背後にあるもの−『乳房吸ふ』の歌を中心に−」を扱っていました。発表の中身というのは、発表者のレポートや卒業論文のネタですので、ここではあまり深く書きませんが、どういった感じで行われたのかを書いていきます。発表に関してですが、取材日は七夕数日前で、「いっこめのん、タイムリーな行事の話題を発表で扱うとは、さすが国文、風流やな!」と感心させられました。二つ目のでは、使用した論文の著者、今村さんが、実は植木先生の先輩だったというおもしろい小話もありました。
議論では、展開の活発さを垣間見られた瞬間もありました。「川が異界に通じている」(写真)という発表を受けて、「川は日本全国どこにでもあるから、川だけで登場した時必ずしもそう考えるべきではない。そこに、蛇という水神などが出てきたらそう言えるが。」と発表者に反論が。それだけでは終わらず、今度はその「ベビが水神である」という前提に対して、別の人から反論者へ「では、モンゴルにヘビが出たらそれは水神なのか?」というおもしろい質問が登場。またまた反論者が「そこに、水が登場せずに話が終われば、それは単なる蛇であるが、苦しんで雨を降らせたなら水神と疑ってもいい。」という縦横無尽にノンストップな話し合いが繰り広げられていました。
他には、言葉に関しての細かさも興味深かった点で、「京」という言葉は時代によって意味合いが変化するということや、和歌内の「ともに」が「共に」か「友として」のどちらを意味しているのか、後者ならば、「に」という助詞の使い方に「として」という使い方があるのか調べなければいけないことなど、一語一語への真摯な様がうかがえました。
(取材 村田 直樹)

ゼミ見学第一弾(英文:石塚ゼミ)

今回は筆者自身が英文学科ということもあり、また、友達が石塚ゼミにいるということで、第一回目は、石塚ゼミを取材させていただきました。

石塚ゼミで扱っているのは、ヘミングウェイの「日はまた昇る(The Sun Also Rises)」です。簡単にこの話について説明します。1926年に発売されたThe Sun Also Risesは第一次世界大戦により大切な青春時代を失った「ロストジェネレーション」をテーマとしています。時代背景は、第一次世界大戦後で、主人公は、ジェイクというパリに在住するアメリカ人の男です。ロストジェネレーションである彼とその仲間たちの荒廃した人生を描いています。

さて、この回の石塚ゼミでは、「日はまた昇る」の真ん中あたりを扱っていました。クラスは、グループ二つに分かれて、質問用紙をもとに、たがいに意見を出し合っていきます。つまり、この日は、「ゼミとは」の最後に書きました、「発表」は一切なく、「議論」そして、それに加えて先生が「解説」を行うのが、メインの日でした。

この質問はゼミ内の学生が考えたもので、4つほどの質問があり、その疑問点を中心に物語を読み進めていきます。たとえば、そこで、登場する「去勢牛」が何の比喩なのか、といった具合です。他にも、授業内で興味深かったのは、物語に「お祭り(カーニバル)」が登場しますが、「お祭り=非日常」なので、「普段起こらないことが起こることの示唆である」と考えたり、「みんないい人のように見えた」という作中のセリフ一つを取り上げて、「〜のよう(it seems)」ということ、つまり、実際は逆で「いい人」ではなく、みんな「いい人のふり」をしているという読みをしたりと非常に細やかに作品を読んでいくところでした。「よう使う“it seems”って怖っ!」と考えさせられました。このほかにも、作品理解を助けるため、先生が、(写真)の本をもってクラス中を回ったりと授業を飽きさせないために工夫がとられている印象を受けました。

今回の取材では、生徒による「発表」が見られなかったのは残念でしたが、ゼミの雰囲気が少しでも感じられる貴重な90分となりました。

最後にあと一つですが、多趣味で浮気性の筆者でも、食べることは昔から相変わらず大好きで、この授業が2限目(12:15終わり)で昼休み前ということもあり、取材後の昼休みは、石塚ゼミの友達Nさんと大学近辺の「タイ料理屋さん」にいきました。(この日僕はランチバイキングを注文しました。また、お店については、後日詳しく取材しますのでその日が来るまで待っていてください!)さて、次のゼミ見学は…。
日はまた昇る(The Sun Also Rises)
(取材 村田 直樹)

「ゼミ見学レポート」の前に…「ゼミとは」

さぁ、やってきました。WEB学生記者の新企画、ゼミ見学!
この企画の趣旨というのは、高校生に大学とはどういったところかというのをお伝えするために、同志社大学文学部の売りである「少人数制」のゼミに学生記者が見学に行き、そのレポートをするといったところです。また、高校生以外にも、ゼミを選ぶ時期である今1回生や2回生の学生さんたちの参考にもなれればとも考えています。

この企画が出たのは、6月の終わりごろで、次に紹介する石塚ゼミの取材も6月には出ていたのですが、筆者の期末試験やレポート、また、文学部PRの動画編集等(間もなくHPで見られますので、こうご期待!)が大いに忙しくなり、なかなか記事に着手できませんでした。言い訳がましく聞こえますが、実際プロフィールにも書きました通り、本当に多趣味で、悪く言えば、浮気性なのですが、去年から専攻の英文学科に加えて、国文学科も副専攻をしたり、また、今年からは、教職を専攻の英語だけではなくて、国語にまで手をつけてしまったりと、たいそう忙しくなっていたのは事実ですので、あしからず。今ここに登場しました、「副専攻」のお話や「教職課程」については、またいつか書いていこうかなとも思っています。

さて、本題ですが、いきなりゼミでどういったことをやっているのかと申し上げる前に、そもそも「ゼミとは何ぞや?」と思う方も少なくないと思いますので、私なりの言葉で紹介したいと思います。

まず、ゼミというのは、少人数のクラスで行われる授業です。大学は、学部学科で、英文学科なら英文、商学部なら商学と言った具合に、専攻する学問は大体決まってはいます。しかし、ただ漠然と英文や商学と言ったとしても、さらにその中に、いろいろな分野があるのです。例えば、英文学科でしたら、大まかに分けて、「文学研究」「言語研究」があります。さらに、細分化すると、「文学研究」でしたら、第一回のゼミ見学で取材させていただいた、石塚先生のように「19世紀から20世紀のアメリカ文学」を専門とする先生もおられれば、全く別の分野、例えば、圓月先生のように「17世紀から18世紀のイギリス文学と英米詩一般」を専門とする先生もいらっしゃいます。(ちなみに圓月先生が気になる方は、以前先輩レポーターさんが「先生に聞いてみよう」で取材を行っていますので、どうぞご覧ください。)

このように、学生は自分たちが学びたい専門の先生を、2年次や3年次に上がる前年に決めます。同志社大学文学部には、かなりたくさんの専任の先生がいらっしゃいますので、選べる専門の多さも魅力の一つと言えるでしょう。そして、次年度よりその先生から教えを受けるのはもちろんですが、先生とともに研究し、学んでいきます。これは少人数クラスならではの醍醐味ではないでしょうか。ちなみに、英文学科では、2年次からゼミが始まることになっていますが、3年次で専門を変更することが可能です。しかし、3年次で選んだゼミは、残りの大学生活2年間の自分の専門とするため、4年次に上がるときに変えることは基本的に不可能となっています。筆者自身、多趣味ということもあり、「文学」「言語」どちらもやりたかったので、2年次には「文学」を、3年次からは「言語」を、と進めてきました。

これだけ長いことを申しましたが、「ゼミ」と聞いて、思い出してもらえればいいのが次の3つです。どのゼミでも共通するやり方ですが、主に、(生徒による)「発表」、(クラス全体での)「議論」そして(先生による)「解説」です。つまり、ゼミと聞けば、「あぁ、発表・議論・解説のだね!」と考えていただいて結構です。この3つは、それぞれ場面によって意味合いが変化するので、各ゼミ紹介の中で理解していただければと思っています。

(取材 村田 直樹)
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