こちらに共通ヘッダが追加されます。
  1. 文学部/文学研究科ホーム
  2.  > Web学生記者編集室
  3.  > Web学生記者日記(2014年度)

Web学生記者日記

2014年度

図書館へ行こう、本を読もう!

 先日、今出川キャンパスを歩いていると、お母さんと散歩をしている3歳くらいの女の子に出会いました。夏季休暇中の大学は、いつもと比べて学生もまばらです。なんとなく目が合ったので会釈をすると、女の子は笑顔で返してくれました。麦わら帽子の奥で輝く屈託のない笑顔。何気ない日常の出来事に温かい気持ちになりました。
 夏季休暇。皆さんはいかがお過ごしですか。地元に帰って過ごす人、アルバイトやサークル活動に一生懸命になる人、資格の勉強に励む人……。大学生の夏季休暇の過ごし方は多種多様です。大学生の今しかできないこと、短期留学や国際ボランティアに参加するのも良いかもしれません。自分らしく、大学生らしく、有意義に過ごしたいものですね。

 夏期休暇の過ごし方として、本を読むのはいかがでしょうか。とはいえ、なにも一日中読んでいろというのではありません。サークル活動や勉強の合間に一日数ページでいいから、読書をするのです。女の子と出会った日も、私を含め多くの学生が図書館を訪れていました。大学生といえども、開講期間は授業や課題に忙しく、読書の時間が取れないという人も少なくありません。せっかくの夏季休暇です。本って内向的、と先入観だけで決めてしまわず、まずは図書館に行って、一冊手に取ってみてはと思います。
本の中には、自分の知らない世界が広がっており、生きていくためのさまざまなヒントが隠されています。何かの壁にぶつかったとき、何をすればいいか決めかねたとき、いや、そうでないときでも、本は心の糧となり、支えとなってくれるはずです。

 同志社大学には、今出川キャンパスの今出川図書館と、京田辺キャンパスのラーネッド記念図書館という二つの図書館があります。文系学部の全学年が今出川に集められたのは、2013年。それまでは、多くの文系学部の1・2年生は京田辺、3・4年生は今出川と、キャンパスが分かれていました。私も、京田辺に通っていた1年生の頃は、ラーネッド記念図書館をよく利用していました。
 図書館には、開架と書庫があります。授業やゼミのレポートを作成するには、開架だけでなく、書庫に入って本を探す必要があります。さまざまな分野の本が所狭しと並んでいる書庫、それはまるで「本の森」。大げさに思えるかもしれませんが、1年生の初めの頃は、書庫で迷子になりそうになったくらいです。

文学部は、他の学部と比べて書庫で本を探す機会が多いように思います。ゼミの発表やレポートの時期になると、書庫の中で友人とばったりということもよくあります。文庫本から研究書、一般の図書館にはない貴重な資料まで―。本の森を歩いてみたい、と思った人は文学部に来ると毎日が楽しいかもしれませんね。もちろん、本を探しているだけが文学部ではありません。演劇や映画、外国語が好き。読むこと、書くこと、話すことが好き。そんな人も、ぜひ文学部へ。 

(国文学科:清水美貴)

忘れてはいけない三つのこと 

 最近随分と秋めいてきましたね。予防なのか風邪なのか、マスクをした人もよく見かけるようになりました。マスクの人が増えると、私は毎年、今年もこの季節が来たなと感じます。これから冬にかけて、体調管理には特に気を付けたいですね。

 さて、突然ですが、皆さんは同志社大学の創立者・新島襄のラットランド演説をご存じでしょうか。鎖国下の日本から国禁を犯してアメリカに渡った新島襄は、帰国が目前に迫った1874年10月、バーモンド州ラットランドで行われたアメリカンボード(宣教師派遣団体の一つ)の年会に出席しました。そこで行われた新島の演説がラットランド演説です。
「キリスト教主義学校のために募金を」。演説の中で新島は、多くの会衆に向かって自らの「志」に理解を求めました。日本にキリスト教学校を創ることは、新島のかねてからの望みであり「志」だったのです。「千ドル!」「五百ドル!」。会衆の中からは次々と手が挙がり、後日行った募金と合わせると、集まった額は五千ドル。この募金は、のちの「同志社」設立のための重要な礎になったといわれています。

 「志」とは、心に決めた目標や目的、信念のことです。思いの強さに差こそあれ、人は誰しも目標や目的、信念を持って生活していると思います。しかし、その目標や目的、つまり「志」を公の前で語ることは容易ではありません。嘲笑や非難にさらされるかもしれない。実現できなかったら恥ずかしい。そうした不安や羞恥心から、多くの人が語ることを諦めてしまうのではないかと思います。私は、この演説を知ったとき、自らの「志」を堂々と語る新島襄の姿を想像し、その勇気と熱意に感銘を受けました。勇気、熱意、そして何より誠実に語るその姿が、その場にいた多くの人の心を打ったことでしょう。
  
 勇気と熱意と誠実さ。この三つがあったからこそ、新島襄は多くの「同志」を得、同志社大学を誕生させることができたのだと思います。三回生の私は、就職活動が近づいてきました。挑み続ける勇気と誰にも負けない熱意、そして誠実な心を忘れずに、自分の進むべき道を決めていきたいと思います。
 秋は何をするにも最適な季節。「志」を抱く全ての人にとって、大きく飛躍できる秋でありますように。

(国文学科:清水美貴)

文豪の書簡

 今年も早いもので12月。2014年もあと少しですね。皆さんは、今年1年なにか心に残る出来事はありましたか。私が心に残った出来事は……ゼミに入って新しい友人ができたことでしょうか。身の回りの出来事や社会のニュースを振り返り、2014年の大反省会をするのも良いですね。
 ニュースといえば、先日、夏目漱石の未公開の書簡が発見されたという新聞記事を読みました。面識のない学生に宛てたもので、漱石の優しさが感じられる内容なんだとか。数週間前には、谷崎潤一郎の書簡も発見されました。これらの書簡が今後の研究にどのように活かされるのか、注目したいと思います。
 書簡は、文学を研究する上で大変重要な資料です。私も国文学科に入学してから、多くの作家の書簡を読みました。今日は、中でも印象に残った書簡を一つご紹介します。誰の書簡か考えながら読んでいただければと思います。以下、一部抜粋です。

  「僕は時々 文ちやんのことを思ひ出します。文ちやんを貰ひたいと云ふ事を、僕が兄さんに話してから 何年になるでせう。(こんな事を 文ちやんにあげる手紙に書いていいものかどうか 知りません。)貰いたい理由は たった一つあるきりです。さうして その理由は僕は 文ちやんが好きだと云ふ事です。勿論昔から 好きでした。今でも 好きです。(中略)僕には 文ちやん自身の口から かざり気のない返事を聞きたいと思ってゐます。繰返して書きますが、理由は一つしかありません。僕は 文ちやんが好きです。それだけでよければ 来て下さい。」(大正五・八・二十五付 塚本文宛)

 いかがでしょうか。文学好きの方なら、誰のものか、もうお分かりかもしれませんね。そう、この書簡を書いたのは、芥川龍之介。「羅生門」は国語の教科書で読んだ方も多いと思います。私も文庫で読んだ「羅生門」が芥川を知った最初の作品でした。わけもわからず読んだので不気味な作品という印象で、以来、若くして自殺をしていることも影響して「芥川龍之介=ちょっと暗い」と思い続けてきました。そんな印象を変えたのが、芥川が塚本文(のちの芥川の妻)という女性に送ったこの書簡です。私は、この書簡を読んでから、芥川を好きな作家の一人に数えるようになりました。書簡を読むと、作品だけではわからない作家の姿が見えてきます。読むたび、新しい側面を知ることができるのが書簡の面白さです。
 しかし、単に「面白い」という感想を持つだけでは文学研究ではありません。重要なのは、そこから読み取れる恋愛観や人生観がどのように作品に影響を与えたかを考えること。その資料を考察にどう生かすかが大切なのです。多くの資料から作家を知り、あらゆる観点から作品を考える。そうするうちに、自然と洞察力や論理的に考える力も身についてきます。国文学科は、高校までの「国語」の授業とはまた違った文学の楽しさを味わうことができ、その研究を通して様々な力を身に着けることができる場所です。

 夏目漱石や谷崎潤一郎、芥川龍之介をはじめ、多くの作家にとってゆかりの地である京都。その京都にある同志社大学は、国文学や日本語学を学ぶにぴったりの環境だと思います。国文学科は今年、創立60周年を迎えました。歴史を刻み、いっそう輝きを増した文学部国文学科で、これからも積極的に新しいことを学んでいきたいと思います。

大学のイルミネーション [Word 346KB]

(写真は大学のイルミネーション。今年のイルミネーションは、飾り付けの木が大きなものになり、去年より明るく感じられます。芝生もきれいです。立ち止まって写真を撮る先生や学生も)

(国文学科:清水美貴)

教壇に立って

 あけましておめでとうございます。寒い日が続いておりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。新年早々記録的な大雪で、風邪やインフルエンザにかかってしまった方もいらっしゃるかもしれません。京都では61年ぶりに20センチ超の積雪となりました。これからしばらくは、インフルエンザ情報や電車の運行状況を気にする毎日が続きそうですね。
 さて、今年最初の話題は、教職課程についてです。このページをご覧いただいている方の中には、これから教員免許を取ろうという方、現在履修中の方、大学時代に取ったという方もいらっしゃるでしょう。私は、大学1年から国語科の教職課程を履修しています。

 教員免許を取得するには、学科の授業とは別に教職科目を取る必要があります。発表が多く、ハードな授業もありますが、他学部の学生と交流し刺激を受けることができるという楽しさもあります。
 中でも大切なのは(と私が思うのは)、教育法という授業。実際に教員になった時や教育実習のために、教科の模擬授業の練習をするものです。私は先日、初めて模擬授業をしました。教材は夏目漱石の「こころ」。学校の授業より短い35分間でしたが、教壇に立って授業をしていると、本当に先生になったような気分になりました(実際は気分だけでできるほど甘いものではないと思います)。友人からの「先生らしくて良かったよ」という言葉、とても嬉しかったです。
 しかし、全てがうまくできたわけではありません。授業に慣れていないことで、失敗もしました。たとえば、生徒(この場合は生徒役の学生)とこんなやり取りも――。

私:「コツコツ…」(板書している)
生徒:「先生!」
私:「はい。どうしましたか」
生徒:「いや…黒板に『驚ろいた』って書いてあるんですけど、『ろ』いらないんじゃないですか」
私:「…あ!ごめん!そうですね。ちょっと緊張しているので…ありがとう(汗)」

 国文学科で日本語学を専攻している私にとって、送り仮名の間違いはとても恥ずかしいものでした。「緊張している…」ととっさの言い訳もしてみましたが、間違いは間違いです。次の説明を考えたり、集中していない生徒はいないか目配りしたり。感想に「字を間違えた時の対応に好感が持てた」と嬉しいことを書いてくれた人もいましたが、同時に色々な注意を向けることができるよう練習しないと、と思いました。
 それから、思ったことがもう一つ。先生からは意外と見えているということです。何か内職していることも、あまりやる気がないことも。ばれていないと思って授業に集中していない人、意外とばれていますよ。
 
 2015年がスタートして、2週間がたちました。今年も、このページを通して文学部の魅力を伝えていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします!

(国文学科:清水美貴)
.