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Web学生記者日記

2009年度

10/03/24 さよなら大学生活

早いもので、3月20日は卒業式です。期末試験が終わってからひと月、同級生は卒業旅行、就職活動、資格試験…、に忙しい様子です。私も4月からの大学院進学に向けて研究計画書や不安な箇所の復習をして、春休みとは名ばかりです。

今、5年間を振り返ると勉強一色の大学生活が思い出されます。また、一瞬も気を抜けなかった授業と予・復習の合間に友人と過ごしたささやかなひと時も蘇ります。大学に入るまでに知らぬ間に持っていた「人間とはこういうもの」という思い込みを裏切り、やさしさとは、思慮深さとは何かを身をもって教えてくれる友人たちに出会えたことは、望外の喜びです。

1、2回生の頃は、親元を離れ「人工的」な京田辺校地で茫然としていました。大学の雰囲気に馴染めなかったこともきっかけで留学を決心し、ひたすら語学の勉強に励みました。

やっと哲学がおもしろくなりはじめた3回生で、交換留学生としてメキシコで学ぶことができました。日本と180度違う生活習慣の中で、「啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜けでることである」という哲学者の一言が繰り返し目の前に現れました。もちろんしっかり羽も伸ばしました。そのぶん、4回生で帰国すると急に地球の「重力」を感じ、これから何をすればよいのか、自分は本当に勉強が好きなのだろうかと揺れました。

やっぱり勉強を続けたいと思ったのは、再修生になってからです。語学の試験、院試、卒業論文…、土日もなく2カ月に一度大きな試験を受け続けた1年間でした。

初めから順調だったわけではない大学生活を通じて知ったことは、知識や判断力、学問や人に対する態度、そして自分自身を愛そうとする意志は長い時間をかけなければ身に付かないということと、「結果がすべてではない」ということです。そこから、待つことと変化を恐れないことの両方の大切さを学びました。また、友人や留学や書物を通して自分の世界が広がったことは、一つの出来事だけで一喜一憂することのない精神的な強さを与えてくれました。

大学院入学を前に、今は期待と不安が交錯しています。人それぞれの事情から、大学院を辞める人もいるからです。しかし、たとえそうなっても「残念」と思うか次への踏み台とするかは本人次第です。何が待っていても、外からの力に負けるのではなく最後は必ず自分で決めたいです。

今日本では、義務教育段階であっても病院代や学用品、修学旅行費に不自由し、食事も十分にとれない子供たちがいます(『朝日新聞』2009年9月29日)。大人の都合で「高校無償化」から除外されそうな子供たちがいます。勉強に憧れながらずっと働いている私と同世代の人たちもいます。そのような社会を自覚しながら、誰もが勉強できるわけではないのに私には勉強が許されている、そのことに恥じない一歩を今日もしるしたいです。

坂本 通子

10/03/24 大学生活を楽しむとは

受験生の皆さま受験お疲れ様でした。同志社大学・文学部に入学される方は四月からよろしくお願いします。同じ大学の先輩として、皆さんが入学する前に伝えたいことがあるので、誠に勝手ですがこの場を借りて述べさせてもらいます。

私は今就職活動中でありまして、最近は主に「自己分析」と「企業研究」をする毎日です。一見受験と同じく辛い・厳しいものであると予見されると思います。しかし、私は受験の時と同じ感覚を今味わっています。その感覚とは、物事をとことんまで突き詰めてやると最終的には「面白い」ということです。私が考えるに、人間は自分が極端に考え、行動していることに対して肯定的に捉えるようになり、最終的にはその物事を「愛する」ようになると思います。皆さんも受験時において、一瞬でもこのような感覚を味わったと思います。そうでなければ中々何時間も勉強を継続できません。

話は変わりますが、受験を終えた皆さんに入学前に知ってほしいことがあります。受験を終え、目標を持ち入学される方が大半であると思いますが、中にはこれといってやりたいことがないという方も若干名いると思います。なぜならば、私がその若干名の一人であったからです。私は高校まで集団スポーツ(野球・ラグビー)をしており、大学でも集団でなにかをやると考えていました。しかし、どこの体育会・サークルの見学に行きましても、もう一つ興味が湧かず、結局どこにも所属しませんでした。

入学当初は焦りました。時間は確かにある、しかし明確にやりたいことがない。まさに目標を見失った時期でした。日々悶々とする中で、ある日一番お金にならず徹底的に無駄なことをしようと決意しました。それが「旅」をする契機となりました。世界・国内問わず私の専攻である「世界史」の現場を自分の目でみてやろうと、バイトなどでお金を貯めて旅費に費やしました。

色々とバイトや各地の旅をする中で、ふとあることに気がつきました。受験の時のような感覚が蘇ってきていることに。この感覚を持って物事にぶつかって行けさえすれば、ハッキリ言って何をやっても大丈夫だと思います。辛い・しんどいことが多いからこそリターンも大きいし、何より「面白い」と。

最後になりますが、新入生の皆さん、なんでもいいです、熱中になるものを自分で見つけて、それをとことんやり、それを愛して下さい。そうすることが大学生活を十分に楽しむ秘訣だと思います。そしてそうすることが、未来の自分を形づくる際に、大きな糧となると思います。
ENJOY CAMPUS LIFE!!!

桑山 亮

10/01/26 サマープログラム(ロシア)説明会

受験生にとってはいよいよ入試の始まる時期となってきました。辛くても、ここ数ヶ月を粘ればきっと納得のいく結果を出せると思うので、笑って春を迎えられるように頑張ってください。

さて、昨年の話になりますが、12月9日には「サマープログラム説明会」が実施され、私も経験者として、体験談をお話するために参加させていただきました。
サマープログラムとは、同志社大学が実施している「海外短期語学研修プログラム」のことです。イギリス、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、フランス、中国、スペイン、メキシコ、韓国、ロシアの中から研修先を選んで、毎年(国によっては隔年ですが)多くの学生が、夏季休暇を利用して1ヶ月ほど、海外の大学で学びます。
滞在していた大学から歩いて10分のところにある寺院『スパース・ナ・クラヴィー(直訳して「血の上の協会」)』です。

滞在していた大学から歩いて10分のところにある寺院『スパース・ナ・クラヴィー(直訳して「血の上の協会」)』です。

私は、2008年の8月23日から9月14日まで3週間、ロシアのサマープログラムに参加しました。この年は、工学部から文学部まで、あらゆる学部、回生の総勢11人の学生が参加し、サンクトペテルブルク商業経済大学の大学寮に滞在しました。月曜日から金曜日までの午前中は大学で、ロシア人の先生によるロシア語の授業を受け、午後はサンクトペテルブルクの町を散策し、土日にはペテルブルク郊外まで足を伸ばしたりしていました。

「ロシア」というと私には漠然としたイメージしかなく、渡露前には「バレエが素晴らしい」「接客は悪いらしい」などの断片的な評判のみが耳に入ってきていました。
前評判通りに確かにロシアでは、店員さんの態度は良いとは言えず、仏頂面で接客している光景もたくさん見ました。
ロシアに到着して、最初に入ったブリヌィ(ロシアの伝統料理。クレープに似ており、薄い生地でサワークリームやイクラを包んだもの)のファーストフード店で、100P(約500円)を求められた時のことです。財布の中には500P(約2500円)しかなかったので、それを店員さんに渡したところ、突然店員さんが怒り出しました。後で知ったのですが、どうやらロシアのお店では、レジにお釣りのストックをしているところが少なく、お釣りが出るような清算は嫌がられるそうです。前には無言で怒りオーラを発する店員さん。後ろにはドンドンと長くなっていく行列。言葉も全て理解できるわけではないし…とパニックになったところで引率の先生が助け舟を出してくださり、事なきをえましたが、私はすっかり意気消沈し、ホームシックになってしまいました。日本では絶対にありえない体験でカルチャーショックを受けてしまったのです。
だけれど、3週間過ごしてみて、身を持って気づいたことがあります。自分が当たり前だと思っていることが必ずしも、全員の「常識」ではないということです。

最初の衝撃を受けた後、私は努めて1人で出歩き、ロシアの人達に話しかけてみました。地下鉄に乗って郊外まで出かけときに電車で隣に座った人に道を尋ねたり、教会の司祭さんにイコン画について尋ねたり、美術館の守衛さんに挨拶したり。中には向こうから話しかけてきてくれることだってたくさんありました。もちろん中には素っ気のないひともいて、落ち込むこともあったけれど、とても親切に世話を焼いてくれるおばさんもいたし、最初は素っ気なくても、話してみると笑顔を見せてくれた人もいました。

ロシア人の学生に街を案内してもらっていた時に、言われた言葉が印象的です。
「どうして日本人は特別可笑しいことがなくても、いつも笑っているの?」
言葉に詰まりました。日本人の全員が全員ではないけれど、確かに特別面白いことがなくても微笑んでいることは多いかもしれません。私は、ロシア人の笑顔の少なさに「怒っているのだろうか」と最初は思いましたが、そうではありませんでした。むしろ彼らにとっては何もなくても微笑んでいる私たちを理解し難かったのでしょう。カルチャーショックというのは「意識の違い」が多分にあるのだと改めて実感しました。

店員さんの態度にも、同じようなことが言えます。かつて社会主義国だったロシアでは、「モノを買ってもらう」ではなく「モノを売ってあげている」という意識が未だ残っているのだそうです。
当然といえば当然のことかもしれませんが、少しの印象や評判だけで相手を決め付けたり、意識や感覚の違いで相手の真意を誤解し、理解する機会を狭めるのはもったいないことだと感じました。大層なことかもしれませんが、これは異文化交流だけでなく、日常でも言えることだと思います。「知らない」ということは「知りたい」という欲求に繋がると思うので、少し不安に思っても興味のあることにはチャレンジあるのみだと感じました。

内山 裕香

10/01/12 日ASEAN学生会議に参加して

派遣留学先のパリから帰国して3ヶ月が経ちました。もう3ヶ月も経つのか、というよりは、この3ヶ月が充実していたからか、まだ帰国して3ヶ月しか経っていないことがあまり信じられず、3ヶ月前はまだパリに住んでいたということが何だか大昔のことのように思えます。

帰国後も、さまざまな活動に積極的に取り組むことで、充実した日々を送っています。先日、21世紀東アジア青少年大交流計画(JENEYS)の一環である、日ASEAN学生会議に日本側参加者として参加しました。このプログラムは、日本に招かれたASEAN諸国の青年と6日間共に生活し、分科会のテーマごとにディスカッションをし、その議論の成果を政策提言として日ASEAN首脳に提出するというものです。私は、以前から興味のあった「地域アイデンティティの形成」という分科会に所属しました。
ディスカッショングループのメンバーと最終日のレセプションにて

ディスカッショングループのメンバーと最終日のレセプションにて

東南アジアの学生はすごい。私は今まで、内閣府やタイ王国政府主催の国際交流事業、シンガポールのジュニアカレッジ主催のフォーラムなどに参加させていただき、東南アジアの青年と交流する多くの機会に恵まれてきました。このような青年事業に参加する度に、物事に対して自分の意見を持ち、その意見を躊躇することなく、外国語である英語できちんと発信が出来る東南アジアの学生に尊敬の念を抱き、その一方で今日の日本人が忘れてしまっているような人懐っこさで接してくる彼らに魅了されていました。また、先学期まで在籍していた派遣留学先のパリ政治学院でも、東南アジアや東アジアの地域研究の授業を多く履修することで、ヨーロッパという遠い場所からアジアに思いを馳せていました。アジアのこれまで何度も関わってきた東南アジアからの青年と、パリで学んできた東アジア地域研究の知識を持って、今回ディスカッションに重点が置かれたプログラムで互いの意見を交換しあうことはとても新鮮なことでした。

多様性が特長とも言える東アジアで地域アイデンティティを作り出すには何をするべきなのか、そして地域アイデンティティの構築に関して、東南アジアの青年はどのような意見を持っているのか、彼らの考えが知りたくて今回地域アイデンティティの分科会に参加したところ、当日割り当てられたサブグループのテーマは「東アジアの歴史的見解と今後の日ASEAN関係」という非常に敏感なものでした。日本のアジアにおける心苦しい歴史に関しては、私は人並みの知識しか持ち合わせておらず、同じグループのASEAN青年から何か突きつけられたらどうしよう、平和に議論ができるのだろうかと、ディスカッション前日は不安な気持ちでいっぱいになりました。しかし、実際には今後の日ASEAN、ひいては東アジア諸国のパートナーシップに関して誰一人ネガティブな見解を持っておらず、非常に建設的な議論をすることができました。サブグループの発表前日は、インターネット環境が悪い中、歴史関連の資料集めに難航し、ファシリテーターにアドバイスをいただきながら最終的に発表準備を終えられたのは発表当日の朝3時でした。長時間の議論の末、さらに発表まで仕上げるというのは非常にハードでしたが、その分ひとつのことを共にやり遂げた12人の仲間とは一気に仲が深まり、今自分は最高なメンバーと一緒に議論ができているのだという実感が湧いてきました。ディスカッションの最終日は、自分たちが話し合った内容が政策提言文にきちんと盛り込まれているか確認するため、また、今回の参加者には英語を母国語として話す参加者はいないため、提言文の文法チェックから内容チェックまですべて、参加者約150人とファシリテーターの全員が集まってみんなで行いました。話し合いはみんなでするけれど、最終的に提出文は一部の参加者で作成する、というのではなく、最終段階まで「みんなで」出来たことがとても有意義であったと感じています。これらの内容が実際に今後の東アジアの国際関係に影響を及ぼすことが出来るかはわからないけれど、アジアの今後を担う青年たちとこのように真剣に述べ20時間に及ぶ議論が出来たということ、そして何より、夜中の3時まで真剣に議論をして、その翌日以降も毎晩遅くまで語り合った、今すぐにでも会いに行きたい仲間が海の向こうに出来たということが、大きな収穫なのだと実感しています。また新たに、かけがえのない友人ができたことが嬉しいです。

古山 彰子

09/08/14 七夕の出会い

今日は、先月大学で出会った素敵な人と心温まる本をご紹介します。

あいにくのお天気だった七夕に、大学企画のアッセンブリー・アワーに行ってみました。テーマは、「『いのち』×(かける)『わたし』」。いのちをめぐって悲しい話題の絶えない今、どんな生き方ができるかを、講演とフリートークで考えよう、という時間でした。講演をしたのは、文学部7回生の尾角光美(おかくてるみ)さんです。

尾角さんは、大学に入学する10日前に、お母さんを自死(自殺)で亡くしています。その半年前には、お父さんが家を出て行っていました。深い悲しみの中、「こんな時立ち止まっては、だめだ…。」との思いで進学し、支えてくれるお友達や先生に出会ったそうです。
101年目の母の日〜今、伝えたい想い〜
その後、「あしなが育英会」の活動を通して、死を身近に経験した子供たちのケアに携わった尾角さんは、2008年、手刷りの文集『101年目の母の日〜今、伝えたい想い〜』を出版しました。「お母さんを亡くした人々による、お母さんへの手紙」を集めて。きっかけは、「母の日」の起源は、1908年、一人の米国人女性が「亡き母への哀悼」を捧げたことにある、と知ったことだそうです。

手作りの文集が、新聞やテレビを介して思わぬ反響を呼びました。そこで、今年4月には、第二弾の文集『102年目の母の日』(長崎出版)を出版しました。全国から寄せられた108通から、40人の「亡くなったお母さんへの手紙」を選んだものです。帯には、「『母の日なんて大嫌い』そう思っていたけれど」とあります。中を開けると、一つ一つの手紙から、お母さんへの愛、遺されてしまった無念さ、この世に生を与えてもらったことへの感謝が伝わり、私もあらためて、「今生きていることは当たり前ではないのだ」と思いました。もちろん、この世の中には「お母さん」という言葉にもっと複雑な感情をもつ人々がいることも、考えながら。

尾角さんの活動の原点は、うつ病だったお母さんから、「生まれてこなければよかったのに!」と言われたことだそうです。人生で一度、根本的に自分のいのちを否定されてしまった、だからこそ、一人でも多く「お母さんありがとう」「生まれてきてくれてありがとう」と言える人を増やしたい、とにこやかに語る尾角さん。私は、精神的にも経済的にも本当に大変であったろう中で、立ち上がって人と出会うことを選んできた強さや、「生きる」ということを周囲と分かち合う姿に感激しました。

「大学は、勉強だけ、将来のことだけ、考える場所ではなく、ここに7年も通っているのは、人と出会っていくためだったのだと思います。」そう話す通り、たくさんの人が尾角さんの編んだ本や、彼女と出会えたらいいな、と思った、アッセンブリー・アワーでした。

坂本 通子

09/07/24 A vous maintenant(次はあなたの番)

6月中旬、派遣留学先 Science-Po(パリ政治学院/通称シアンスポ)パリ校での全ての課題が終わりました。課題が終わっても本帰国はまだまだ先なので、留学が終わったのだという実感がしばらくありませんでしたが、母国に帰っていく留学生仲間の友人を一人一人見送りながら、本当に自分も3ヵ月後には日本に戻るのだという実感が沸いてきました。この一年間、こちらで経験したことを定期的にこのコーナーでお伝えするつもりでしたが、留学中は常に課題に追われ、一つ一つの経験を振り返る余裕もないままに時間が過ぎていってしまいました。まだ先になりますが、同志社大学ホームページ内の国際センターのページに最終報告書がアップされると思いますので、留学に関する詳しい内容はこちらの日誌では割愛させていただきます。国際センターのホームページには、同志社大学から世界各国に派遣された学生の体験談が載っていますので、留学に興味のある方はぜひそちらをご覧ください。

国際課「派遣留学者報告集」(オリジナルサイト)


6月中旬からの3ヶ月ほどの長い夏休み、私は旅とスイスの難民センターでのボランティアに時間を使うことにしました。パリでは一年間、同志社大学での専門科目とはまったく異なる、国際関係と地政学を学んできました。大学入学後、さまざまな国際交流事業に参加する中で興味を持つようになった分野を、Sciences Poという素晴らしい学校で、本庄国際奨学財団という財団から奨学金をいただきながら一年かけてじっくり学ぶことができ、本当に有意義な経験ができました。

一年間使い続けた地政学のテキストの最後のページは白地図になっていて、《A vous maintenant−次はあなたの番−》というメッセージが書かれています。この一年間で学んだたくさんのことの一部である、北アフリカからヨーロッパへの難民・移民問題をスイスの難民センターで、幾度となく耳にしたEU新加盟国や非加盟国、そして北アフリカを、自分のこの目で見てきます。今、学んできたことをこの目で見る機会を目前にして、わくわくしています。

私が強く信じているのは、物事は実際に見てみなければわからないこと、インターネットや本から得た情報だけでは、真実はわからないということです。この考え方は、この留学生活を通してさらに強くなりました。去年のクリスマス休暇の際、友人を訪ねてセルビアとブルガリアに行き、その後一人でルーマニアを旅しスペインを経由して帰ってきたときのことです。『セルビアに行くんだ!』と出発前に友人に話すと、なぜそんなに危ない場所に行くんだ、それ以前になんでそんな場所に行きたいんだと聞かれました。確かにセルビアと聞くと、1999年のNATOによる空爆や、コソボ独立問題など、近年まで決して明るくないニュースが続いています。しかし、だからと言ってセルビア全土が危険な場所であるとは限らないし、国内の一部が情勢不安定なだけで、知りもせずに危険だといったり、その国を否定したりすることはナンセンスです。実際訪れると、観光客を受け入れるようになって間もないセルビアでは、まだまだ外国人を、ましてや日本人を街で見かけるのは珍しいようで、私と一緒に歩いていた友人は注目の的でしたが、現地の人々は本当に優しく、なぜこの国を知りもしない外国人が『危ない』などと言う権利があるのだろうと思いました。ブルガリアでは友人と友人の家族と共にブルガリアのクリスマスを体験させてもらい、本当に温かくもてなしてもらいました。一人で旅したルーマニアでも、道で迷ったり電車に一人で乗っていると必ず誰かが声をかけてくれて、『こんなところで一人で何をしているの?』と聞かれたり、『今パリに住んでいて、中欧に興味を持って、ここに来てみたんです』と言うと、西欧だけじゃなくて、中欧にも足を伸ばしてくれて嬉しい』と言われたりしました。ホテルやバスなど、すべて用意されたツアー旅行も快適だけれど、私は航空券だけ取って、自分の足で街を歩き、何でも見てまわる、そんな旅が大好きです。

留学を終えた直後に、このような長い旅とボランティア活動を行う機会に恵まれたことに感謝して、この夏は真っ黒になりながら、たくさんのものを見てこようと思います。みなさんも、良い夏を!

09/04/06 2008年3月28日

2008年3月28日は、私にとって忘れられない日。

2007年11月にやっぱり留学しようと決意して、尊敬するフランス語、哲学、そして人生の恩師である汐田充先生に身に余るような推薦状を書いていただき、2月にシアンスポへの交換留学が決まって、スイスでの語学研修を含めて一年半海外で生活することが決まった。ヨーロッパでの二度目の留学生活を控えて、その前にアジアを自分の目で見ておきたいと思って、3月は韓国から入って東南アジアを一ヶ月旅した。その旅の途中、1月ごろ駄目もとで応募していた留学のための奨学財団から書類審査通過の連絡が来て、まだまだ旅の途中だった私は無理を言って最終面接日を帰国の翌日である3月28日に動かしてもらい、東南アジアで真っ黒に日焼けした、春が始まったばかりの東京では季節外れな体のまま面接に行った。行ってみると、書類を通したのは学部生で二名だけで、その面接は留学の意思確認であること、返済の義務のない奨学金だから、精一杯学んできて、その分社会に還元してほしい旨を財団の方から伝えられ、晴れて本庄国際奨学財団2008年度学部留学生になることが決まった。株式会社伊藤園代表取締役会長本庄正則氏が、自分の資産で留学生を応援したいという思いで作られた財団。資産家となったとき、こういうお金の使い方ができる人は少ないと思う。私はこの奨学金がなければ、留学自体はできたかもしれないけれど、面白いことや学ぶチャンスを見つけたらすぐに航空券を取ってどこへでも行ったり、興味のある本を迷わず買ったりできなかったと思う。あれから一年。今日は感謝する日。

メトロ12番線に乗って、まだまだ分からない単語だらけの無料新聞を読みながらシアンスポに通うこと、学校の近くのパリ7区のスターバックスで課題のリーディングをすること、火曜日は朝9時から凱旋門のそばのスカッシュ場に行くこと、毎週大好きなフランス人の先生の地政学のゼミを受けられること、水曜日の夜はソルボンヌまで歌いに行くこと、金曜日の夜はパリ郊外まで楽器の練習に行くこと、大好きな友達が世界のさまざまな場所から手紙を送ってくれること、買い物したら絶対店員さんと挨拶を交わすこと、一ヶ月に最低一回は学会や旅のため飛行機や電車に乗ってフランスから出国すること、学校の近くのカフェでフランス人の友達とお互いの語学の宿題を交換して助け合うこと、仲良しグループで夜9時くらいから飲みに行って近況を報告しあうこと、留学生活も二学期目に入ってだんだん慣れてきて、週末の予定が楽しみなこと...

いつの間にか日常になってしまったこの環境が、本当は全然当たり前ではないこと、さまざまな人に支えられて実現したすばらしい環境なんだということ。今日は、そのことを再確認する日。奨学金の面接に合格した時、汐田先生からゲーテの焦らず休まずという言葉をいただいた。フランス人のいわゆるエリート、そして世界中のトップ校から集まった留学生に囲まれて、たくさんの刺激を受けると同時に、何度も自信を喪失したり押しつぶされそうな気持ちになりながら、この半年間を学んできた。学期終了まであと3ヶ月、帰国まで半年。先生からいただいた言葉を忘れずに、一日一日過ごそうと思う。焦らず休まず。

古山 彰子
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